おりょー♪へ

君を忘れないために。

やっぱり日々喜が大切なんだ

おりょー♪

まずは、Happy Birthday!!

本当は顔を見て「おめでとう!」って言いたいよ…。

きっとおりょー♪は、そこらの大人女子のように「もう嬉しい歳じゃない」とかなんとか月並みな御託を並べたりせず、体ごとまっすぐ私に向いて、晴れやかな笑顔で「ありがとー!」って言うに違いない。

誰かと「おめでとう」や「ありがとう」を言い合えることが、当たり前なんかじゃなくて、どんなに幸せなことかと、しみじみと考えてるよ。

最近は、家族に「いってらっしゃい」「おかえり」って言うのも、なんだかラストスパートっていうか、カウントダウンするような気持ちがしてさ。

 

9月に母が高齢者住宅に入居して、実家が空っぽになりました。

つい半年前は、両親の暮らしがあったのに。

昨日も片付けに行って、ベランダの物干し竿を下ろした時「ああ、もう二度と母がここに洗濯物が干すことはないんだ」と思ったら、ちょっと寂しさで胸が苦しくなった。

と、そんな話を娘に報告したらばね。娘からこんな返信が来た。

「寂しいって思えるってことは、それだけ大事なものがあったってことだからね。まあ幸せなことだよね」

そうか、あの娘がこんなことを言えるようになる程、時が経ったのだなと、重ね重ね感慨深かったよ。

確かに、私たちは大事なものをたくさん得たんだよね。

 

今年はいろんなことが大きく変わった1年だった(まだ終わってないけど)。生死だけでなく、変化を感じることで、対比として「あたりまえ」の尊さも改めて感じることができた気がする。

日々の暮らしが愛おしいと思える。まさに「日々喜」を大切に、全力で生きて行きます。

 

今後は不定期に勝手に呼びかけると思うけど、たまに付き合ってね。

ではでは、また。

大好きだよー!

 

たまとも

守ってね......

おりょー♪ 

お盆はこっちにお出でだったかな?

うちはお盆の直前が父の四十九日だったので、やっとあの世に着いたとたんに呼び戻すのもどうなんだろ?とか、せっかくあの世で懐かしい面々に再会できると思ったらみんな”出払ってて”誰もいないんじゃない?とか、家族でいろいろ疑問を抱きながら不慣れな新盆を過ごしました(笑)。

 

この一か月間の私は、高熱で寝込んだり、エスカレーターで滑落して背中と腰を負傷したり、ちょっと体を張るアトラクションに乗ってしまった感じ。今はアトラクションの出口付近のベンチで休憩中。

次はIt's a small world的なほっこりするアトラクションに乗りたいな。プライオリティパスをゲットしなくちゃ。

でも、おりょー♪に守ってほしいのは私じゃないよ!

私たちの大事な友達が苦しんでるでしょ。どんなにか怖かったことか、いまどんなに辛い思いをしているかと思うと、心配でたまらないよ。

おりょー♪、どうかお願い!守ってね!!頼んだよー!!

 

たまとも

 

 

 

23

おりょー♪

やっぱりまた23だった。

leah-ryhthm.hatenablog.com

 

先月の6月23日。

娘の20歳の誕生日。

そして、父の命日となりました。

今年初めに白血病と診断されて、積極的治療はしないと決めてから、緩やかに弱っていったけど、最期まで父らしく「生きた」と思う。

弟と、なんかあっぱれって感じよね、と笑ったよ。

 

23日の昼間に、娘と息子と緩和病棟の父に会いに行きました。

朦朧として苦しい息の中でも、孫たちの顔を認めると少し笑ってみせてくれて。

孫娘が二十歳になるのを見届けることができて、人生の最後の日に可愛い孫二人の顔を見られて幸せだったろうと思う。

 

「これから誕生日ディナーで美味しいもの食べるよ」と言ったから、きっと「ディナーが終わるまでは水を差してはいけない」と頑張ってくれたみたい。

11時過ぎに病院から電話があって駆け付けたけど、息を引き取る瞬間には間に合わなかった。

ひとりで逝かせてしまってごめんね、と思いつつ、でもきっとこれも父が望んだ逝き方だったのかな、と思ってね。

 

また一人、大切な人が旅立って、だんだんそちらの世界に知り合いが増えていくな。

おりょー♪も、父も、ちゃんと旅支度を整えて旅立ったのを見て、私もそうありたいなと思った。最後まで、私らしく生きようって。

全力で遊び尽くして、最期に笑顔で手を振って旅立てるように、ね。

 

父の顔知らないと思うけど、もしそっちでそれらしき新参者を見かけたら声かけてやってね。すっごく喜ぶと思うから。よろしく。

 

たまとも

 

 

子どもたち、がんばれ♡

おりょー♪ こんばんは。

今日は父の通院で朝からずっと出かけていて遅くなっちゃった。

 

おりょー♪はいま海の向こうかな?今日の東京は、季節外れに寒い雨の一日だったよ。

夕方、駅からの帰り道、ちょうど近くの小学校の子ども達(時刻的にたぶん学童に行ってる子たちだと思うけど)が歩いててね。

ランドセルに黄色いカバー付けてる1年生のグループ。道の角で、男の子が女の子数名と別れてちょっと歩いて振り返って、ふざけた調子で「さよならって言ってくださ〜い!」って言うと、女の子たちが弾けたように笑って、同じように楽しそうに「バイバ〜〜イ!」。前を向き直った男の子、照れたような、すごく嬉しそうな顔をしてた。

私が男の子とすれ違って、女の子たちの後ろを歩いていると、女の子たちは持っている傘をコンコンと拍子を取るように道に突いてみたり、水溜りに入れてみたり。長靴を履いてる子は水溜りの上を歩ける特権を享受してた(笑)。

女の子を追い越して前を歩いていると、後ろから歌が聞こえてきたよ。

「いちねんせ〜になった〜ら♪ いちねんせ〜になった〜ら♪」

一人が歌い出すと他の子たちも歌い出して、

「と〜もだちひゃっくにん、でっきるっかな♪」

も〜、可愛いらしくてたまらん!!オバチャンはひとりニヤけ顔になりながら、通院でどんよりしていた気分も晴れて、なんだか幸せな気分になりました。子どもたち、ありがとう!

あの子たちも、きっとデジタルのゲームも大好きで、YouTubeなんかもいっぱい見たりする今どきの”普通の”子どもなんだろうと思うけど、子どもの感性っていうのは、いつの時代も変わらないものがあるんだな、って思った。

私たちの頃は、もっと派手に水溜りに足を突っ込んだけどね(笑)

 

子ども、っていうか、人の成長って、先取りしても意味ないよね。

その時その時を楽しんで、時に悩んでも、その時の自分で答えを出せばいい。オトナの解決方法が正しいなんてこと、絶対ないんだから。

子どもたち、がんばれ。オバチャンはちょっと先から振り返って見守ってるよ。

 

おりょー♪もきっと目を細めてこの話を聞いてくれてるはず。

 

ではまた来月ね!

 

 

 

まずはため息をつこう

おりょー♪ こんちくわ。

 

はぁ〜〜〜。。。


と、いきなり大きなため息ついてみる。

一難さってまた一難、という日々が続いてて。

「難」に出くわすと、自然と一瞬息を止めてるというか、呼吸浅くなるよね。

音を立てず、身を潜める動物としての習性・本能なのかな。

当然体も緊張状態でガチガチに凝ってしまってる。

そんな時、実はため息をつくことでリラックスしたりリセットする効果があるそうな。

『ため息』の効能|心理学エッセンス|たちばなエクール

 

呼吸法で言えば深呼吸だよね。

イメージ的に「深呼吸しましょう」と言われると皆さん「吸う」から始めちゃうけど、ほんとはまず「吐く」のが正解。

今肺にある空気を吐き切って空っぽにすると、自然とたくさんの新鮮な空気が入ってくる。ひんやりした空気が鼻と喉を通過して胸を満たす感覚に集中する、これぞマインドフルネス!

ため息はマインドフルネスの第一歩だと思う。

というわけで、も一つため息をついて脱力してみるか。

 

ふぅ〜〜〜〜。。。

 

ところで、つい先日街中でおりょー♪に似た人とすれ違ったよ。

たぶんしばらく一人でニヤけて歩いていたと思うけど、その後なんか無性におりょー♪に会いたくなってしゅんとしちゃった。

その人、赤色のトップスを着ていてね。おりょー♪も赤が似合ってたな、って。

私からするとおりょー♪はいつも小ざっぱりと自分らしい着こなしのおしゃれさんだと思っていたのだけど、知り合ってずいぶん経ってから、実はそれほど服に興味はなく、あまりに物持ちが良過ぎて、夫君から「いいかげん新しい服を買ってくれ」とお願いされた(笑)という話を聞いて、逆に感心した覚えがある。

でもさ、ジーンズもかっこよく履きこなしてたし、たまに可愛らしい帽子とか、小物使いも素敵だったよ。

なにより、いつでも「おりょー♪らしかった」。まさにファッションだと思う。

 

さてさて、今回はこれ自体がため息みたいなリラクシングな投稿になったね。

最初に大きなため息ついたおかげかな。ま、いいか!ってなった。

ため息つかずに書き始めてたら、すっごいドロドロした投稿になってたかも?!

ま、どっちにしてもおりょー♪はお空から全部お見通しでしょ?ふふ。

 

つくぞ、ため息!

 

じゃ、また来月ね。

 

たまとも

 

 

 

 

「まだ」か「もう」か。

おりょー♪ いまどこにいるの?

桜が綺麗だよ。もう見に来たかな?

それと今夜は新月。曇が多いのか星もあまり見えない暗い、静かな夜。こんな夜も悪くないよね。

 

今年も「もう」3ヶ月過ぎて、「もう」春。

数年前からこの「もう」という気持ちが重くなってきてる気がするんだ。

若い頃はね、例えば20代の子が「もう歳だよ〜」と言ったりするように、ただ相対的な感覚っていうか、まあ軽い気持ちで使ってたんだけど、年齢で言ったら絶対的に「もう」人生の後半なわけで。

 

それじゃあ心理の基本に倣って、「まだ」というマインドに切り替えたらどう?と考えたけど、なんかそれも無理がある。

「諦めない」とかは、ぶっちゃけ面倒くさい(笑)。

よい塩梅に諦めて、受け入れて、「もう」でも「まだ」でもない55歳という二度とない今と向き合えたらいいよね。

時は流れていくけど、今より遠くに行くわけじゃないと思うんだ。
永遠になったおりょー♪がいつも近くにいるように。

とりあえず「もう」をむやみに使うことをやめてみようと思う。NGワード(笑)。おりょー♪、チェックして、多用してたらビリビリとかなにかサインを送っておくれ。頼んだよ!

 

さてと。新月だから熟睡できるかな?

じゃあまた、来月、ここでね。

 

たまとも

 

何歳のスピリットで生きて行く? - 癌と暮らす日々あれこれ

私も↑これ試してみようかな?案外私は今のスピリットがしっくりな気もするが...

#おりょー♪

新月と混沌

おりょー♪ はろはろ〜

 

なに、なに? 今回は小説みたいなタイトルだねw、って??

『〇〇と○○』って小説タイトル多いよね。

最近では、『蜜蜂と遠雷』(おもしろかった)、『ハリー・ポッターと〜』シリーズ
古くは、『老人と海』、『罪と罰』、、、うさぎとかめ、ヘンゼルとグレーテル、、、?? うぅっ、、、多いよねと言いながら大して思いつかなかったorz

 

いやさ、1月の初旬に眠れない日があってね。
正月休みで睡眠サイクルが狂っていたことと、色々あったので思考の空回りがとまらなかったせいなんだけどさ。
その時にたまたまテレビでその日が満月だと言ってて。
ふ〜ん、と思いながら、そういえば満月の日は出産も多くなるとか聞いたことあるな、なんかやっぱり「満ちる」=活性する→目がギンギン→眠れなくなるのかな?と思ってたの。

その後しばらくして、今度は眠くて朝まで泥寝(笑)。
不眠の反動といえばそれまでなんだが、ふと気になって調べたらその時が新月だったのよ。
なんか「ほほぅ〜!」と楽しくなって夫に話してみたけど、不眠症(自称)の彼にとってはあまりピンと来ない話だったらしく軽く流された。ちぇっ。
おりょー♪とだったらきっと盛り上がってひとしきりお喋りできただろうに!

とまあ、そんなことを意識してしまったせいか、その次の満月の時期も寝付きが悪く、おかげで体調を崩して風邪をひいちまった(コロナじゃないです)。
今週の月曜日は新月だったんだけど、風邪の名残りの咳でむせちゃって結局浅い眠りとなり、今回は新月と睡眠の関連は実証できませんでした。

昨年はやるべきことがたくさんあったり、変化の年で、いわば「動」の1年だった。
対して今年は、まだ仕事もしていないし、いつまでにやるべきこととかもないし、物理的には「静」と言えばそうなんだけど、「静」というほど穏やかでもない。

「混沌」という感じ。

それも、輪郭のある事象が詰め込まれたようなカオスではなくて、全体にグレーのミストみたいな感じ。おりょー♪なら「わかるー!」って言ってくれるような気がする。そうなの、そんな感じの今日この頃です。
あ、でもね、別に暗い気持ちというわけでもないので安心してね。ミストは割と適温なので(笑)。

今はなんとなく満月の月明かりより、新月の静かな闇の方がしっくりくる。満月のパワーに耐えきれないのかもね。
しばらく混沌の中に身を委ねてみようかなと思ってます。

 

ではでは、また来月。
Miss you....

 

たまともより