おりょー♪へ

君を忘れないために。

いま、ここ、私。

 

おりょー♪、いま何してる?

 

私はこうしておりょー♪と話してる。

 

そう。いつぞやのおりょー♪を思い出してる、のではなく、「いま」話してる。

 

この感覚、おりょー♪がお空に行ってから、自然に身についた、というか腑に落ちた、かな。

 

この歳になれば、今までにも人の死と遭遇してこなかったわけではないけれど、なんだろうね?

言ってみれば、家族でもないし、ものすごい旧知の仲ってわけでもないおりょー♪の死が、私のとても深い芯にスッと刺さった。

繊細な美しい針は、刺さった瞬間は息もできないくらい痛かったけれど、そのあとは、ほら、よくベテランの看護師さんが注射の時に「だいじょうぶ」って思わせてくれる“神対応”っていうの?

おりょー♪がずっと私に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って言ってくれているような感じがしてる。

だから、その針は今も刺さったままなんだけど、だんだんと私のからだに馴染んで、私の一部になっていくんだと思う。

それはつまり、おりょー♪が私の一部になって、一緒に生きていくこと。

 

そうだよね?

 

物理的な時間の流れは止められないし、遡ることは出来ない。

でも「いま」に“全集中”(この言葉ちょっと前に流行ったんだよ)すると、時空を超えて、私の中と外の全てが「ここ」に確かにあると感じられる。

 

おりょー♪は「いま」「ここ」に私と居る。

 

ありがとう、おりょー♪ 大好きだよ!

 

また来月、23日にね。